1. 夢の年俸制、その裏に隠された「退職金」の罠
金未来(キム・ミレ)さんは、あるIT企業で8年間、身を粉にして働いてきました。入社当時、会社から提示されたのは「年俸制」の契約。社長の朴(パク)氏は、笑顔でこう言いました。「うちの会社は能力主義だから、年俸に退職金もあらかじめ含めて、毎月の給料を高く設定しているよ。その方が君も助かるだろう?」
未来さんはその言葉を信じ、納得して同意書と契約書にサインしました。毎月の給与明細には確かに「退職金」という名目の項目があり、基本給に上乗せされて振り込まれていました。しかし、8年が経ち、キャリアアップのために退職を決意した未来さんに、会社側は冷たい態度を見せました。「契約書にある通り、退職金は毎月の給料で支払い済みだ。今さら支払う退職金など存在しない」というのです。
未来さんは途方に暮れました。長年勤めた功労金として、まとまった退職金を受け取り、新しい生活の足しにするつもりだったからです。果たして、契約書にサインしてしまった未来さんは、一銭も退職金を受け取ることができないのでしょうか?
2. 法的争点:月給に含まれた退職金は有効か?
このケースにおける核心的な問いは、「年俸制契約において、退職金を月々の給与に分割して支払うという合意(退職金分割約定)に、法的な効力があるのか」という点です。
3. 韓国の法律は何と言っているか
韓国の「勤労基準法」および「勤労者退職給与保障法」は、労働者の権利を保護するための強行法規です。これに関する法的原則は以下の通りです。
勤労者退職給与保障法 第8条使用者は、継続勤続期間1年に対して30日分以上の平均賃金を退職金として、退職する労働者に支払うことができる制度を確立しなければならない。
重要なポイントは以下の3点です:
- 退職金の発生時期: 退職金は「退職」という労働関係の終了を要件として発生するものです。
- 事前の権利放棄の禁止: 労働関係が継続している間に、将来発生する退職金請求権を事前に放棄する合意は、原則として無効です。
- 中間精算の制限: 退職金の中間精算(在職中の支払い)は、住宅購入や療養など、法律で定められた特定の事由がある場合にのみ例外的に認められます。
4. 韓国裁判所の判断基準
韓国の大法院(最高裁判所)は、一貫して「月給に含まれて支払われる退職金は、退職金としての効力を持たない」という立場を取っています。たとえ労働者が同意して契約書を作成したとしても、それが退職金の中間精算としての法的要件を満たさない限り、その約定は無効であると判断されます。
ただし、ここで注意が必要なのは、無効だからといって会社が単に損をするだけではないという点です。裁判所は「会社が退職金名目で支払った金銭」は、本来支払う義務のない金銭を支払ったもの(不当利得)とみなし、労働者はそれを会社に返還すべきであるという公平の観点も示しています。
5. 法を事例に適用する:未来さんのケース
未来さんのケースに当てはめてみましょう。まず、未来さんがサインした「退職金込みの年俸契約」は、強行法規に違反するため、退職金支払としての効力はありません。したがって、未来さんは会社に対し、8年分の正規の退職金を改めて請求する権利があります。
しかし、会社側も黙ってはいません。会社は「毎月支払った退職金名目の手当」を不当利得として、未来さんに返すよう要求(相殺を主張)してくるでしょう。ここで労働者の生活を守るためのルールが登場します。
- 相殺の制限: 会社が未来さんに支払うべき「本当の退職金」から、過去に誤って支払った「不当利得」を差し引く(相殺する)ことは可能ですが、その金額は退職金総額の2分の1を超えてはなりません。
- 残りの半分: たとえ過去にいくら多く受け取っていたとしても、法律は労働者の最低限の生活を保障するため、退職金の少なくとも半分は現金で受け取れるよう保護しているのです。
6. 結論:未来さんはどうなったか、そして読者へのアドバイス
結局、未来さんは専門家の助けを借りて会社と交渉し、本来受け取るべき退職金全額から、過去に受け取った名目上の退職金の半分を差し引いた残額を受け取ることができました。会社側の「一銭も出さない」という主張は法的に認められなかったのです。
同様の状況にある方へ、2つのアドバイスを送ります。
- 契約書の言葉を鵜呑みにしない: 「退職金込み」という契約は、韓国法では非常に脆弱です。契約書があるからと諦めず、その項目が法的に有効な「中間精算」の要件を満たしているか確認しましょう。
- 給与明細と通帳記録を保管する: 万が一争いになった際、何が「基本給」で何が「退職金名目」だったのかを証明するのは、あなた自身を守る強力な武器になります。
法律は「権利の上に眠る者」を保護しません。自分の正当な権利を理解し、必要であれば早めに専門家へ相談することをお勧めします。
※ 本記事は一般的な法的情報を提供するものであり、個別の事案に対する法的助言ではありません。具体的な問題については、弁護士や公認労務士にご相談ください。




















